「創業1年目で赤字が出た。前年に納めた税金を取り戻せると聞いたけれど、来年以降に繰り越した方が得なのでは?」──創業期の経営者から、こうしたご相談を数多くいただきます。純損失の繰戻し還付と繰越控除はどちらも青色申告の特典ですが、有利・不利は前年の税額や今後の所得見込み、そして資金繰りの状況によって大きく変わります。本記事では、2026年8月時点の制度をもとに、3年間の税額シミュレーションで最適解を導く方法と、申告書への具体的な記載実務を解説します。
012つの制度の基本──繰戻し還付と繰越控除の違い
純損失の繰戻し還付とは
繰戻し還付とは、本年分の事業所得等で純損失が生じた場合に、前年分の所得に対して納付済みの所得税の一部または全部を還付してもらう制度です(所得税法第140条)。還付金額は「前年の所得税額×(純損失の金額÷前年の課税所得金額)」で計算されます。
純損失の繰越控除とは
繰越控除は、本年分の純損失を翌年以後3年間にわたって各年分の所得から差し引ける制度です(所得税法第70条)。将来の課税所得を圧縮できるため、翌年以降に利益が伸びる見込みがある場合に効果を発揮します。
適用要件の比較
- 共通要件:損失が生じた年分について青色申告書を期限内に提出していること
- 繰戻し還付の追加要件:前年分も青色申告書を提出していること。さらに「純損失の金額の繰戻しによる所得税の還付請求書」を確定申告書と同時に提出すること
- 繰越控除の追加要件:損失が生じた年の翌年以後、連続して確定申告書を提出していること(白色申告でも提出の連続性があれば適用可能だが、控除できる損失の範囲が限定される)
ポイント:繰戻し還付を選んだ場合、還付対象となった損失額は翌年以降に繰り越すことができません。逆に、繰越控除を選んだ後から繰戻し還付に変更することは原則としてできないため、申告前の判断が極めて重要です。
02どちらが有利?──3年間の税額シミュレーションで判断する
以下のモデルケースで、両制度を比較してみましょう。
モデルケース(個人事業主・Aさん)
- 2025年分(前年):課税所得400万円 → 所得税額 約37.2万円(税額控除前)
- 2026年分(本年):純損失 ▲300万円
- 2027年分(翌年):課税所得見込み 500万円
- 2028年分(翌々年):課税所得見込み 600万円
パターンA:繰戻し還付を選択
前年の課税所得400万円に対する税額37.2万円のうち、損失300万円に対応する部分を還付請求します。還付額は概算で「37.2万円×(300万円÷400万円)=約27.9万円」です。2027年分・2028年分は所得がそのまま課税されるため、合計税額は通常どおりとなります。
メリット:2026年中(申告後1〜2か月程度)にキャッシュが戻るため、資金繰りの改善効果が大きい。
パターンB:繰越控除を選択
300万円の純損失を2027年分の所得500万円から差し引き、課税所得を200万円に圧縮します。2027年分の所得税額は約10.2万円となり、繰越控除をしなかった場合の約57.2万円と比べて約47万円の節税効果が生じます。
メリット:翌年以降の税率が高い場合、税負担の軽減額がより大きくなる。
比較結果
パターンAの税軽減効果は約27.9万円、パターンBは約47万円です。このケースでは繰越控除の方が約19万円有利という結論になります。ただし、繰越控除は「翌年に確実に利益が出る」ことが前提です。2027年分も赤字が続く可能性がある場合や、直近の資金繰りが逼迫している場合は、確実にキャッシュを回収できる繰戻し還付が合理的な選択となります。
注意:上記の税額は所得控除を基礎控除のみで簡略計算した概算値です。実際には社会保険料控除や扶養控除などで税額が変わりますので、必ず個別にシミュレーションを行ってください。また、住民税には繰戻し還付の制度がないため、住民税の観点では繰越控除の方が有利になるケースが多い点にもご留意ください。
03判断のための3つのチェックポイント
- 前年の税額は十分か:前年の所得税額が小さいと繰戻し還付の効果も限定的です。前年の税額が純損失に対して小さい場合は、繰越控除で将来の高い税率帯にぶつける方が有利になりやすいです。
- 翌年以降の所得見込みは確実か:創業期は売上の見通しが不透明なことが多く、「来年は黒字になるはず」が外れるリスクがあります。3年以内に繰越損失を使い切れなければ、その分は消滅します。
- 資金繰りの緊急度:手元資金が薄い創業期には、数十万円でも早期にキャッシュが戻る繰戻し還付が事業継続の命綱になることがあります。税額差だけでなく、キャッシュフローの時間価値も考慮しましょう。
04申告書への記載方法──実務上のポイント
繰戻し還付の場合
- 確定申告書第一表・第二表を通常どおり作成し、第四表(損失申告用)に純損失の金額を記載する
- 「純損失の金額の繰戻しによる所得税の還付請求書」(様式あり)を作成し、前年分の課税所得金額・税額・還付請求税額を記入する
- 確定申告書と還付請求書を同時に税務署へ提出する(e-Taxでも提出可能)
還付請求書には前年分の申告書の控えの情報が必要となるため、手元に準備しておきましょう。
繰越控除の場合
- 損失が生じた年分の確定申告書第四表に純損失の金額を記載して期限内に提出する
- 翌年分の確定申告書第一表の「損失の繰越控除」欄に前年から繰り越した損失額を記入する
- 第四表(二)で繰越損失額の明細を記載する
繰越控除を適用する年は必ず確定申告書を提出する必要があります。所得がゼロでも提出を怠ると、繰越しの連続性が途切れて控除が認められなくなるため注意してください。
05選択を誤った場合のリカバリーは可能か
結論から言えば、原則としてリカバリーは困難です。繰戻し還付の請求は確定申告書と同時に行う必要があるため、期限後に「やはり繰戻し還付にしたい」と思っても認められません。一方、繰越控除を選んだ後に繰戻し還付へ変更することも、確定申告の法定申告期限を過ぎた後は原則不可とされています。
ただし、法定申告期限内であれば訂正申告や還付請求書の追加提出により対応できる可能性があります。判断に迷う場合は、申告期限に余裕を持って税理士に相談されることをお勧めします。
06法人の場合の留意点
法人税においても欠損金の繰戻し還付制度がありますが、中小法人等(資本金1億円以下など)に限り適用されます(法人税法第80条)。繰越控除は最長10年間(2018年4月1日以後開始事業年度)繰り越せるため、個人よりも有利な面があります。法人の場合は繰越期間が長い分、繰越控除を選択する実益が大きいケースが多いですが、設立初年度の資金繰りを考慮して繰戻し還付を選ぶ判断もあり得ます。
- 純損失の繰戻し還付は前年の所得税を早期に取り戻せる制度。繰越控除は翌年以後3年間(法人は10年間)の所得から損失を差し引ける制度
- どちらが有利かは「前年の税額」「翌年以降の所得見込み」「資金繰りの緊急度」の3点で判断する
- 翌年以降に高い所得が見込める場合は繰越控除が有利になりやすいが、所得の不確実性が高い創業期は繰戻し還付の確実性も重視すべき
- 住民税には繰戻し還付制度がないため、住民税を含めたトータルで比較することが大切
- 申告期限後の選択変更は原則不可。判断に迷う場合は期限に余裕を持って専門家に相談を
